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    ハッシュタグ「三田村 昌鳳の荒ぶる」記事一覧

    月刊ゴルフ用品界2015年7月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 トーナメントのイベントとしての成熟度って、なんだろう、と考えさせられるトーナメントを見てしまった。 日本プロゴルフグランド・ゴールド選手権だ。この大会、テレビはもちろんネット中継もなく、速報も1日目はハーフターンのチェックのみ、最終日となる2日目に、ようやくボランティアが成績上位グループに速報係として配置された。 ギャラリースタンドは、もちろんない。ローピングも大雑把。ギャラリー整理係もほとんどいない。この側面から見れば、イベントレベルの低いトーナメントだ。まあ、1970年代前半の大会を知っている僕たち世代にとっては、懐かしさすら感じ親近感があった。取材もスコアカード提出所で待機していて、スコアのいい選手にコメントを聞くという昔ながらの風景。 この大会は、1973年から続く公式戦だ。位置づけは、日本プロ、日本プロシニアに続いて、60歳以上の選手によるグランド。そして68歳以上の選手によるゴールドの大会なのである。出場選手は、往年のプロゴルファー。僕にとっては同窓会的風景があって親しみやすかったけれど、そこには青木功、中嶋常幸と言ったスター選手は出場していない。さらに言えば、まだ50歳台の尾崎直道、井戸木鴻樹、奥田靖己なども年齢対象外だから出場していない。馴染みはあっても、花形選手ではない。 にも関わらず、2日目(最終日)のギャラリー数は、6093名。1日目が2801名で合計8894名が来場した。その2日目(同日)を比較すると、男子の日本ツアー選手権が、4956名。女子が、4859名だった。 そこで、今季の男子レギュラーツアーのギャラリー数は、どうなっているのだろうか、と調べてみた。最少人数は、関西オープンの初日で、932人。最高人数は、中日クラウンズの最終日で、1万915人。6000人を超えた日は、6試合(日本ツアー選手権まで)。24日のうち、わずか6日。 費用対効果を考えると、1トーナメントで3億~5億円かかると言われている男子トーナメントで、この人数では意味がない。もちろん、メディアを通じての報道にも効果があると思うけれど、それすら希薄になっている。 日本ゴルフツアー選手権をライブで放送したのはNHKだった。でも、夜のニュースで、たまたま僕がみたのは、星野英正のホールインワン映像だけで、成績は、上位数名が文字で表現されていて、優勝者の名前すら言わなかった。 ギャラリースタンドをしっかりとつくり、つまりフィールドの設営などは、洗練されているように施している男子ツアー。そういう意味では、トーナメント開催の成熟度は、あがってきているのだろう。 でも、その器のなかで繰り広げられる戦いや、選手のスター性、技量。同時にさまざまなイベントを付加してギャラリー対策をしているけれど、それでも、ギャラリー数が少なすぎるという現実を、どう受け止めているのだろう。 C級でもギャラリーが大挙 日本プロゴルフグランド・ゴールド選手権は、ゴルフパートナーがスポンサーになっている。未確認だけれど、あの規模ならば、億という金はかかっていない。数千万円だろうと推測する。 そして、この大会では、ギャラリーは無料、食事券付きである。仮に、その経費が、1人500~600円だとしても、1万人集まっても、500万~600万円の出費になるだけ。しかもそのチケットは、全国のゴルフパートナー店でもらえるし、インターネットからコピーして持参すればいいというものだ。 賞金総額1000万円。主催者とスポンサーには悪いけれど、いわばB級とかC級レベルのイベント規模だ。 そこで頭を抱えてしまうのだ。そういうB級とかC級レベルのイベントが、男子ツアーを凌駕するギャラリー数を集める現実。 それをどう受け止めたらいいのだろうか。結論のひとつとして、華美で派手で、高額賞金総額で、すべてのフィールドが整っていても、その器の中で演ずる(戦う)役者が伴っていないのだろう。カーネギーホールでいくらイベントをやっても、演者がレベルに達しなければ、客はこないのと同じか。 次の結論。親近感もなければ、さりとて高純度の技量と手に汗握る戦いを見せてくれない不満。それが観客離れにつながっている。しかも、主催やイベントを運営する側にも、何がしかの問題があるのだと思う。 ならば、今の日本では、B級でもC級でもいいレベルのトーナメント規模で充分という最終結論に達してしまう。 この間、フェイスブックで選手の資質、プロゴルファーとは、ということで話題になった。僕が知っている女性が、そこに書き込みしていた。彼女は、親子で年間数試合トーナメント観戦する熱心なファンである。耳を傾けてみよう。 「この前の中日クラウンズの時もある選手だったんですが、アテストが終わってクラブハウスに向かう時に私じゃないけど、ギャラリーの方達がサインや握手を求めても無視している選手はいました。 それも、タバコを持ちながら歩いていて握手を求めてもタバコ持っているからと言った選手がいたけど、右手がふさがっていても左手で握手できるじゃん、と思いました。プロに対して失礼ですが、そんなに活躍してない30歳になったかならないかぐらいのプロで何か見ていて不快な気分になったし、熱湯ぶっかけてやりたかったです。 俺はレギュラーツアーに出ているツアープロだぞとツンとした態度をしていると、大した事ないし、勝てないくせにと正直思うことはあります。これは全員じゃないですし、一生懸命に笑顔でファンサービスしてくれるプロだっていますよ。 ここ何年か観戦に行っていますが、どんなギャラリーの方達にもきちんとしていましたけど‥‥ まぁその日のスコアが思うようにいかなかったのかもしれませんね。一度でもそのような事をしたと心当たりのあるプロがいましたら、今後、気をつけて頂きたいです。 ゴルフ界全体の組織が悪い! 全体が変わらなければ、ずーっとこのままでしょう。どんどん試合は減る一方ですよ」 もちろん個人的な意見だ。でも、女性の目線でこう映るということを、まさしくゴルフ界全体は、考えないといけないのだと思う。
    (公開)2018年10月25日
    月刊ゴルフ用品界2014年11月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr> NHKの朝の番組「あさいち」で、セクハラの特集をやっていた。最近では、特に40歳代の女性に対するセクハラが多くなっているという。 セクハラというと性的ハラスメントと思いがちだけれど、性別ハラスメント、つまり男性が女性に対して、ついうっかり、言ってしまう言葉によるセクハラも極めて多いということだ。 言葉を発した相手(つまり男性)は、そのくらいでガタガタ騒ぐなと言ったり、何気取っているんだとか、ガキじゃあるまいし、と捨て台詞を発するらしい。セクハラとは、発した相手が「このくらい」と思っていても、受けた相手が、どう感じるか、というところに大きな問題がある。 だから、例えば、同じ女性でも、その言葉に、なんとも感じないという人もいる。でも、ハラスメントは、受け手がどう感じたかが問題なのである。 つまり、人間関係では、送り手と受け手の双方の感情や関係性が大切だということだ。 最近は、メールやラインなど、相手の顔も声も見えない、聴こえないで、文字だけで意思を伝えようとする。 さて、時代の変容は、当然、人間関係にも、大きな変化がある。プロゴルファーの世界でも、それは同じだろう。 例えば、いまのトーナメントに出場している選手のファッションや着こなし。それを何とも感じない人もいるかも知れないけれど、だらしない、ひどい、汚らしいと感じる人もいる。 どこかのメーカーか調査機関にお願いしたいのだけれど、一度、年代別、性別にしっかりとアンケート調査をして欲しい。 【プロゴルファーのファッションについて】という調査だ。 選手やメーカーのゴルフのファッションについて、果たして観る側と一致しているのかどうか、僕は疑問なのである。どうも乖離していると思うのだ。 どの世代に支持され、どの世代に嫌悪感があり、男女別では、どういう違いがあるのか、実は、まったく解らない。少なくとも、着こなしが良くない、あるいは、格好わるい、ダザイなどと聴こえてくるわけだから、なんらかの理由があるはずだ。 さらに、メーカーや選手たちが、これがいいんだ、と言っても、それは送り手側だけの発信であって、受け手側の分析がない。わからない。 プロのトーナメントは、観戦、つまり観る、魅せる要素がふんだんになければいけないと思う。その観る側が、良しとしないファッションセンスならば、すぐに改善できるはずだ。 アンケートで、女性側から見た場合、誰のファッションが人気があって、誰のファッションは最悪だとかが判明すれば、改善の余地がある。それを、メーカーが、選手にこれを着てと渡して、そんなのは嫌だと言われ、結局選手たちのいいなりファッションになっているとしたら、これは、送り手側のひとりよがりだ。 これこそ、セクハラ、パワハラの関係性と同じ論理になる。 <h2>錦織圭との違い</h2> トーナメントが面白くない。興味がない。観るべき要素に乏しいなどと言われているけれど、ひとつひとつ、薄紙を積み重ねていくように改善してきただろうか? いちばん目立つのは、ファッションである。それすら改善ができていないとしたら、これは努力放棄。選手たちも、メーカーからというリクエストではなく、アンケートで女性ウケするデータによると、これだ、と選手に言えば、当然、わがままを押し通せないだろう。なにせ、女性ウケするのだから(笑)。 テニスのウインブルドンは、ウエア(身にまとうもの)は、すべて白色と決まっている。それでも各メーカーは、白色限定で、どういうデザインにするかを競い合う。それでも人気があり、世界中から支持されている。 派手さが、度を越して醜態になるということもある。 もちろん、それらを身にまとう選手の中身、資質の改善も必要だ。以前からいい続けているけれど、何故、JGTOが、メディアトレーニングをやらないのだろうか。 それはマスコミに対する態度や会話だけの話ではない。ギャラリーに対しても、プロ・アマで一緒に回るゲストに対しても、どう対応すべきかというトレーニング・カリキュラムを作成し、1年間で何十時間は、消化することというのを条件に出すべきだと思う。 身なりは人なり。つまりは、外見だけでなく、中身も同調して、リスペクトできる選手となるわけだと思う。 それは何もプロゴルファーの世界だけではない。いまのジュニア、つまりは2020年東京五輪に出場するであろう世代の選手たちも、大学のゴルフ部も、このメディアトレーニングを必須とすべきだ。 さらに言えば、英語の授業だ。ゴルフ部に入ったら、ジュニアゴルファーとしてナショナルチーム予備軍となったら、英語レッスンを必須にすべきだ。 9月初旬の世界アマで、男子70カ国、女子50カ国の中で、英語が流暢に話せなかったのは、日本選手たちだけだったと記憶している。 米国の有名ゴルフ部を有する大学から、日本にゴルフ奨学生を受け入れますよ、と言われての条件は、まず英語。そして試験にパスできるだけの学力が必須である。それがなければ、優秀なゴルファーであっても、留学させることはできない。 そういうことは、何億円もかかることでもないし、ましてや斬新なアイデアもいらない。コツコツと実行すればいいだけの話しである。 テニスの錦織圭選手がメジャーの全米オープンテニスで準優勝。彼は14歳から渡米した。もちろん英語もメディアトレーニングも素晴らしい。彼の特集番組で、杉山愛さんと松岡修造さんが「世界の一流になるためには、何が必要か?」というアナウンサーの問いに、二人揃って「英語です」と答えていた。 ゴルフ界は、そんな基本的なことを改善できるだろうか?
    (公開)2018年09月13日
    月刊ゴルフ用品界2014年5月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> テレビの世界のアカデミー賞と言われるエミー賞は、テレビ番組の各ジャンルに与えられる賞である。その中で、スポーツエミー賞というのがあって、1975年のマスターズ中継が、この賞に選ばれたことがある。 確かに、試合展開も面白かった。ジャック・ニクラス、ジョニー・ミラー、トム・ワイスコフが土壇場まで抜きつ抜かれつの1打の争い。そこでニクラスが16番ホール、パー3で12メートルのバーディパットを見事に沈めて走り抜けての優勝だった。 その番組が、テレビ界最高の名誉となるエミー賞を受賞したのである。 NBCの敏腕プロデューサーのフランク・チャキニアンである。チャキニアンは、1970年代からずっとプロデューサーとしてマスターズを中継し、オーガスタが大のお気に入りで遂には住居まで引っ越してしまったという熱の入れようだった。 この人は、ともかく場面の切り返しのテンポが速い。それでいて目障りでなく、間延びもせず、ゲームの流れが自然に目に入るというスイッチングをしたことで有名である。 そして各ホールのコメンテーターにも、厳しい指令をすぐに出す。 「おい、いい加減に話をやめろ!  どうせろくな話じゃないんだから!」 こうやって怒鳴りつけたらしい。このコメントは、アメリカのゴルフ迷言名言集に載っていたから、ホントのことである。 スポーツ中継に演出はないとよく言われる。ゲームが面白ければ、それだけ評価が高くなり視聴率も上がる‥‥。 これが過去の常識だった。でもそれは、スポーツ中継の過去の話である。もちろん、笛吹けど踊らずという要素もかなりあるけれど、視聴者、つまりゴルフファンをワクワクさせる引き込み方が、プロデューサーの腕の見せどころではないだろうか。 そう、確かに、日本のテレビ局も苦心惨憺して、さまざまな試みを取り入れている。バラエティによく出演しているタレント。あるいは、熱血スポーツキャスター、ゴルフ好きのタレントなどを登場させてレポーター役を頼んだりもその一つである。 あるいは、ワイワイガヤガヤとアナウンサー、ゲスト、キャスター、さらにゲストなどを呼んで賑やかしもしている。そう、確かに、日本のゴルフトーナメントでも演出はしているのである。けれども、それはゴルフトーナメントの本筋だろうか。 すぐに帰りたい選手達 例えば、マスターズの最終日を例にとってみると、最終日最後の組がスタートするのは、午後の2時50分から3時10分の間である。サマータイムを引いても、午後の1時から2時の間に最終組がスタートする。 それは、ちょうどアーメンコーナーの11、12、13番ホールあたりから、木漏れ日がフェアウエイに長く影をつくり、太陽が西に傾いてフェアウエイの芝も綺麗に西陽で輝く時間帯である。 最終ホールは、まさに太陽がオーガスタの森に消えようとする時刻である。 ところが、日本では、最終組が18番ホールにやってくる時間が、3時頃だ。まだプレー中は、太陽が真上からやや傾く時間帯で、帽子のヒサシで顔も真っ黒で見えない。最近では、それに加えてサングラスをしていたら、選手の表情なんて、まったく解らない。 かつては、日没ギリギリに試合が終わっていたことがあった。でも、いまは、その時間になると、飛行機に間に合わない。余分に日曜日泊まらないといけない。家に帰れないなどの選手のクレームもあった。 その上に、テレビである。テレビの番組構成上、その時間帯は無理だという。しっかりとVTRで収めたいからだ。危険を犯したくない。 マスターズに限っていえば、いや、ほかのメジャーもそうなのだけれど、トーナメントの生中継を核にして、中継が始まる前には、たとえばドキュメンタリー番組のように、大会の歴史や、ある時代、ある選手にスポットを当てて特別番組を組む。それがプレリュードである。これから始まる、今年の、いまの、ライブのゲームに対するワクワク感を煽るのである。 生中継が終わっても、夜は、深夜まで、トーナメントのプレイバックやトーク番組などを組んでいる。実際、マスターズでも背景に素晴らしい練習場が見えていて、そこでサテライトスタジオを設けてのトーク番組である。 マスターズでは、日本でいう地上波のキー局だけでなく、ケーブルテレビの局と一緒になって盛り上げる。 どうも日本の場合は、地上波が親分、主導権を握っていて、BSやCSは、そのおこぼれ的なイメージが強い。地上波でなければ、スポンサーも納得しないとか、全国ネットでなければ、とか、まあ、昭和の時代を思わせる状況が、いまでも続いているのだと思う。 僕は、もうゴルフトーナメントは地上波では無理と唱えている一人だ。 それは、番組枠や視聴率至上主義に、日本のゴルフトーナメントが不釣合いだからである。それに長い時間帯をトーナメント番組に費やせる余裕なんてないはずだ。 それならば、ゴルフファンも地上波ではなく、ゴルフはBSやCSで観るという感覚をもっと持てばいい。もちろんスポンサーもである。 そしてもうひとつ、いやふたつ。選手の質、品格。コースの完成度とトーナメントの時間帯をもっと是正すべきである。 さらに、テレビ関係者も、ゴルフをより理解して、本筋をしっかりと守り、その上で、演出を考えるべきだと思う。
    (公開)2018年06月14日
    月刊ゴルフ用品界2014年8月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 日本アマチュア選手権の取材に行った。僕が、日本ゴルフ協会(JGA)のホームページに日々のゲームを掲載するようになったのは2009年からだから、かれこれ連続して6回取材していることになる。 女子アマ界ほどではないけれど、男子アマ界の低年齢化が加速し続けている。 JGAの日本アマ出場選手の年齢別データによると、2006年の平均年齢は、29.34歳。それが年々1歳ずつ若くなり、僕が取材を始めた2009年には26.63歳になっていた。当時20歳の宇佐美佑樹が優勝した。 そしてさらに低年齢化が進む。  2010年 25.56歳。  2011年 23.80歳。  2012年 23.85歳。  2013年 24.07歳。  2014年 22.45歳。 多少の凸凹はあるが、今年は遂に22歳に突入した。 問題は、世代別だ。当然、ジュニア、大学生の人数が圧倒的に多い。今年に限って言えば、出場選手141名のうち10代が73人。20代が48人だ。 つまりは、この20代のほとんども学生で占められている。そして30代が5人。40代が11人。50代が、2人。60代が2人という分布だった。 これを見て、おや? と思った。いわゆる社会人アマがどんどん減ってきている。2006年には、30~40代までの選手が、17、24、15人いたのである。 その理由は、高校生、大学生からすぐに日本ゴルフツアー機構(JGTO)のQT(予選会)を受験してしまう選手がほとんどだから、大学を卒業して社会人になってからもアマチュア選手として競技会に出場するゴルファーが激減していると読み取れる。 取材を始めた2009年でも、30~50代までの選手がすべて二桁だったのに、あっという間にそれら世代の選手が減っている。もちろん、若年層の技量が高くなったことは確かだ。けれども別の側面で見れば、その地域に、かつては必ずいた社会人アマのリーダー、つまりトップアマがしっかりと存在していて、そのゴルファーが一般アマチュアを引っ張っていたという図式があった。 例えば、過去でいえば阪田哲男、九州の尾家清孝、岡部太郎。東北の大友富雄、関東の内藤正幸、水上晃男。名前を挙げれば切りがない。けれども彼らはすでに50歳、60歳を過ぎている。 彼らの中で今年も日本アマに出場したのは、43歳の井関剛義や46歳の金子光規、47歳の水上晃男だった。ほかにも40代で高橋雅也、そして福井工業大付属福井高校の監督をしている福康文らの姿があった。 <h2>曖昧な「プロ」の定義</h2> さて‥‥。日本アマに出場するためには、それなりの手順があって、各地区の大会の優勝者など、言ってみれば予選を通過してこなければ出場できない。それでも、若年層に押されていることだけが原因なのだろうかと思う。 一つは、ツアープレーヤー志向が加速していることだ。そのために、社会人になって、なおかつトップアマとして競技会に出場しようという選手が、減ってきていることも確かである。 すると、そのトップアマを中心とした、その地域の一般アマチュアもいなくなっていると言えないだろうか。 ツアープレーヤーやプロゴルファーを目指すことは、それはそれでいいのだけれど、社会人のトップアマがいなくなることで、一般アマチュアが目先で目標とする相手や競技会に対する興味やゴルフにまつわるさまざまな知識というコミュニティまでが希薄になってしまったと思う。 つまりは、ゴルフが面白いという素朴な一般アマチュアへの影響力もなくなると、ゴルフ人口が増える要素が、またひとつ消えてしまうのではないだろうか。 昔は、練習場に行っても、あるいはゴルフをやりはじめると周辺で上手なアマチュアゴルファーのおじさんがいて、あーだ、こーだと親身になってくれたりもした。また、ゴルフの面白さを聞かされもしたけれど、いまはいい意味でのアマチュアゴルファーの継承が消えている。 141名の日本アマ出場者の中で、社会人が33人。大学生が70人。高校生が33人。中学生が5人という分布は、確かに未来のプロゴルファーという意味では、層が厚くなったともいえるけれど、それが日本のゴルファー層の厚さにはつながらない。むしろ一般ゴルファーの人口が増える要素にはならない。 ましてやJGTOのQTを受験すれば、アマチュアではなくなる。けれども、ツアープレーヤーとして試合に出場できる人数も限られる。 挫折してしまった選手たちは、アマチュア競技に戻るにも、およそ3年かかるし、戻るにしても社会人としてのなにがしかの職業に就かなければならないわけだ。 ツアープレーヤーの門戸を広げるということには成功したけれど、それが果たして日本のゴルフ人口を増やす一助になっているのかといえば否である。 アマチュアゴルファーとしての資格は、ゴルフを通じて賞金なりの金銭の授受があれば、これはノン・アマチュアということになる。プロ宣言をして予選会に出場したり、プロの大会にでたらノン・アマチュアだ。 プロゴルファーという定義は、実は曖昧で、つまりはアメリカのようにプロだと宣言して、試合に出て賞金をもらう生活をすれば、自称プロということになるだろう。JGTOのQTの2次予選に出れば、ツアープレーヤーである。 最終予選に通過すればツアーメンバーである。実は、それもプロゴルファーと呼んでいる。さらに日本プロゴルフ協会でプロテストを受験し合格したら、プロゴルファー。認定プロだ。また、ティーチングの受験をして合格すれば、ティーチングプロである。 倉本昌弘PGA会長によると、プロテスト、ティーチングプロのPGA資格を持っていないで活動しているゴルファーが、およそ3500人はいると言う。 こうしてみると、プロゴルファーというくくりも曖昧模糊としているまま、単にプロゴルファーとしているところもよく解らない。 もっと一般アマチュア層を増やすには、ゴルフ関連のスペシャリスト、プロたちがしっかりとオーセンティックな姿勢を示すべきである。
    (公開)2018年02月15日
    月刊ゴルフ用品界2014年9月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> 「タイガーを、いままでの規格、尺度で考えると判断を見誤る。前人の枠組みにあてはまらない新しい規格なんだからね」と語ったのは、『タイガー・ウッズ』の本の著者、ティム・ロザフォートだった。タイガーが出現した時の話である。 確かに、その時代、そのシーンで異次元と思わせる選手が、時代を築くのかも知れない。例えば、ジャック・ニクラスが1962年の全米オープンで初優勝したときも、ある意味で異次元だった。当時、ニクラスは、かなり太っていた。短く刈り上げたGIカット。いまでは想像できない体型だった。 セベ・バレステロスも、異次元だった。 1979年の全英オープンで、セベは優勝している。最終日、16番ホールのティショットだったと思う。大きく右に曲げて、駐車場の中へ打ち込だあと見事なリカバリーが印象的だった。またその翌年、彼は、マスターズに勝ったわけだが、やはり、最終日17番ホールのティショットを左に曲げ、隣の7番ホールに打ち込んでしまう。ピンチのはずのこのシーンの中で、バーディ。 それをクラブハウスのテレビで見ていたニクラスが、思わず「バカな! なんてこった」と叫んだという。そのニクラスも、マスターズ初優勝の時に、ボビー・ジョーンズに同じことを言われている。 マキロイが全米オープンで2位に8打差をつけて初優勝したとき、タイガーは出場していなかったが「僕の22歳のスイングよりもはるかに完成度が高い」とコメントしていた。そして今年、全米オープンから3連続メジャー優勝を果たしたのである。   <h2>「ダンロップ・スリクソン・福島オープンオープン」の成否</h2> 世界のゴルフ界は、観るスポーツとしてのゴルフと、するスポーツとしてのゴルフに鮮やかな明暗を示してきていると思う。 圧倒的なギャラリー数。相応しいフィールドとコースセッティングなど、いまさら言うまでもないけれど、彼我の差がどんどんついて来た。日本の男子トーナメントの凋落ぶりが激しいだけに、余計に眩しく映る。 聞けば、トーナメント数が減少している中で、ダンロップ・スリクソン・福島オープンが新規に開催された。賞金総額5000万円。主催者の中に日本ゴルフツアー機構も入っている。 ところがシード、あるいは上位の選手が集まらなかった。通常の大会では若干名の欠場があって、QTファイナルのランクの25~35位ぐらいの選手に出場チャンスがある。彼らは、その順番を待って賞金を稼ぎたいわけだ。ところが、この大会では、結果的にファイナル順位の120位ぐらいまで落とした。つまり、欠場者が、それだけいたということになる。 理由はいろいろあるかも知れない。その中に、もし、賞金が安いから、という理由で欠場する選手がいたとしたら‥‥。日本の男子ツアー、選手たちはもう末期症状だ。こういう選手に、高額賞金を払うということ自体が間違っている。 世界が、観るスポーツとしてのゴルフが確立されているのに対して、日本は、観るゴルフというくくりがない。もともと日本のトーナメントの生まれ育ちが、米ツアーなど海外とは違っている。1970年代に一気にトーナメント数が増えた。そのとき、ギャラリーを動員するという発想はなかった。 「ゴルフトーナメントのスポンサーになりませんか? テレビ中継すれば、宣伝効果がありますよ」 「いくらかかるの?」 「宣伝料と思えば、高くないですよ」 というような感じで、ゴルフトーナメントをイベントとして扱うなかで、ギャラリー動員、ギャラリー収入、ギャラリーのためのイベントという発想を持ちあわせていなかった。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2017/12/A-1.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-37464" /> 確かに当時はジャンボ尾崎、青木功、そして中嶋常幸が活躍して、トーナメントは膨れ上がった。その豪華さや賞金総額という面では、である。それがバブルで絶頂を迎え、崩壊後、賞金額が減りスターが不足し、ギャラリー数も視聴率も惨憺たるものになる。 ゴルフゲームの妙味が面白い。戦いの攻防で見せる1打の背景が深い。そんなことではなく、飛んだ、飛ばした。順位に関係なく、アイドル選手や人気(のあると錯覚している)選手ばかりを追う。18ホール、72ホールまでのゲームの流れやその勝負の駆け引きなどは、伝えてくれない。 いつのまにか、ゴルフゲーム、トーナメントというものが、言葉は悪いけれど、AKBや韓流スターを追いかけるような興味本位のギャラリーだけを残してしまったのだろうか。 <h2>ボランティア不足</h2> 選手の資質にも、大きな問題がある。リスペクトできない。 そんな背景があるから、だと思うのだけれど、普段は男女トーナメントで、こぞってボランティアが集まるのに、52年ぶりに日本で開催される世界アマチュアチーム選手権では、締め切りを過ぎていても集まらない。 もっとも日本ゴルフ協会もパブリシティ不足は否めないけれど、それにしても、と思う。国際試合を開催する土壌が、日本にはないのだろう。例えば、各組につくルーラーも、国際試合の規定で、R&amp;Aのルールテストのレベル3(最高位)の80点以上の保持者となっているが、日本でレベル3を保持しているのは、わずか3名。協会の職員だけである。 だから全米ゴルフ協会にお願いして、30名派遣してもらった。ことほど左様に、お粗末なのである。 岡本綾子や服部道子などは、マーカーをかって出てくれたという。インターネットでのボランティア・ゲストを僕がFBでお願いしたら、現役、現役に近いプロは、ひとりもいなかった。 その中で、快く引き受けてくれた方々に深く感謝したい。 翻って、世界のアマチュアゴルファーには興味が無い。プロだって特定の選手以外興味が無い。いや、それ以上に、ゴルフ競技に興味が無いという現状は、ゴルフメディアにも多いなる責任があると思うのだ。ゴルフゲームの面白さや奥深さ、あるいは歴史、文化を、もっと長きにわたって伝達することを、置き去りにしてきたからである。
    (公開)2018年01月15日
    月刊ゴルフ用品界2014年7月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 最近は、電話で人と話すことがとても少なくなった。 これに代わってコミュニケーションはもっぱら、フェイスブックやライン、メールというツールになってきている。これはこれで便利なのだけれど、どうしても「人間が互いに意思・感情・思考を伝達しあう」という意味では、誤解されやすい。 身振り手振り、表情や声のトーンなどが解らないからだ。 やはり便利になればなるほど、素朴で基本的なコミュニケーションであるフェース・トゥ・フェースがなくなってくる。 ホントか嘘か解らないけれど、だいぶ前にテレビで若い夫婦が別々の部屋からメールで、離婚話をやりとりしているというケースが取り上げられていた。そんな時代になってしまったのかと、驚きとともに困惑が入り混じった。 僕たちは取材対象者と直接面談して記事を書く。トーナメントでも、記者会見やいわゆる囲み、ぶらさがりといって、選手たちから面白い話を聞く。 そのときの声のトーンや表情などを含めて、言葉の奥に潜んでいる感情や思惑を読み取るわけである。 けれども、最近のトーナメントでの記者会見や囲み取材のやりとりを聞いていると、正直、つまらない。選手たちの話も面白くないし、ボキャブラリーも少ないし、第一、口数が少ない。 昔の話をして恐縮だけれど、ジャンボ尾崎や青木功たちは、それぞれ個性があって、その話にも説得力もあったし、面白かった。 取材をする側とされる側の関係性も、昔とはずいぶんと違ってきている。選手に対して、意識的に挑発するような質問をする個性的な記者もいなくなっているし、選手たちも、会見や囲みに対して、きちんと受け答えしないケースもある。中には、インタビュー拒否という選手もいるわけである。 <h2>ジッと待っている</h2> (2014年)5月下旬に全米プロシニア選手権の取材に行った。そのとき、スコアカード提出所の脇にボードがあって、その前でクイックインタビューをする場所がある。記者会見場に呼び寄せるほどでもないけれど、少し話を聞いておきたいという選手や、テレビ・ラジオ用にコメントをいち早く収録して流すメディア用に設置してある。 そこで、トム・ワトソンのインタビューがあった。そのあとにバーナード・ランガーのインタビューだった。ワトソンの話が少し長引いていたことで、ランガーは、その2メートル脇で待たされていた。そして、ランガーは、静かにじっと待っていた。 これが日本だったらどうなんだろうと、すぐに思ってしまった。おそらく待たされている選手はムッとするか、そのままクラブハウスに行ってしまう。あるいは、あとで呼んでね、と言うかも知れない。いずれにしても、きっと待たないだろうな、と思った。 海外のトーナメントと日本のトーナメント取材で、大きな違いは、このインタビューである。選手たちが、きちんと義務を果たすのが海外だ。そういうレギュレーションがある。 しかも、コメントの内容は、しっかりとしている。あとでコメントシートを斜め読みしても、決まって記事にしたくなるような話が含まれている。 コミュニケーションをとるという重要性に彼我の差がありすぎると思う。よく言われることだが、米国では小中学校の授業の中にディベートの授業があって、そこで討論のトレーニングができる。ブレーンストーミングもある。討論や対話、意見交換、意思伝達などの手法がおのずと訓練されている。 さらに、プロスポーツ選手たちは、メディアトレーニングを受けるケースが多い。そこで会見での言動や態度・服装などを細かく教わる。 日本選手に欠けているのは、その部分である。そう書くと、どうも間違った方向に行ってしまいがちなのが、実は、怖い。お笑いタレントやバラエティに出てくるような、おちゃらけや軽いノリの話に向いてしまうことが多いからだ。 プロゴルファーの資質がいま、問われている。その基本がコミュニケーションだと思うのだ。ついつい、ゴルフの上手いタレントになってしまいがち。一般のゴルフファンは、ゴルフの奥行きや幅広いゴルフゲームの真意を知りたいのだ。 メディアが選手を育てる。選手がメディアを育てる。そういう土壌が、日本では少なくなったと思う。 それにメディアの存在を選手たちは、どこまできちんと理解できているのだろうか。 「どんなに奇跡的なショットをしても、素晴らしいプレーをしても、いいゲームをしても、それを伝えてくれるメディアがいなければ、世界に伝えられない、歴史に残らない。あなた方(メディア)のタイプライターから弾き出された記事に感謝したい」 というボビー・ジョーンズの言葉は、マスターズのメディアビルの一角に額装されて飾ってある。 日本のトーナメントがつまらないのは、選手たちの言葉が足りない。それをしっかりと報せないメディア。双方の責任もあると思う。
    (公開)2017年12月27日
    月刊ゴルフ用品界2014年1月号掲載 「第25回『荒ぶる』」 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 2013年を象徴する漢字一文字は「輪」だと京都・清水寺の貫首が書いた。 けれども、一般市民の声を拾ってみると、その中に「偽」という漢字をあげた人も多かった。 もちろん偽装ドミノのことだ。 まるで脅威なインフルエンザのように、偽装ドミノが続いている。日本経済新聞の見出しではないけれど「どこでもやっている」という免疫性は、さらに怖い。 ひと昔、いやもっと昔に「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉があった。その頃から、日本を揺るがすインフルエンザが蔓延して、遂には、偽装ドミノが次々に発覚し、居直りコメントにつながる。 偽装、隠蔽、改ざん‥‥ そんなことが、まるで当たり前のように、罪悪感もなく日常的に行われている組織は、ほんとに怖い。会社、組織、保身の悪知恵だと思う。その場しのぎや、隠蔽することで、組織が守れるし、自分たちの立場も死守できる。 この体質は、多かれ少なかれどんな組織体にもあると思うのだ。もちろんゴルフ界だって、あってもおかしくない。 偽装事件は、まだゴルフ界にはなさそうだけれど、なにか2013年は、その土台がズルズルと歪み、崩れ落ちていきそうな前触れのような感じがした。男子ツアーのトーナメントが減少。日本オープンの惨憺たるギャラリー数。視聴率の大幅低下。公益社団法人である日本プロゴルフ協会の反社会的勢力とのつきあいで、副会長と理事が辞任し、まだ組織としての律し方については未解決。 さらにゴルフ用品メーカーの大量リストラ(150名以上の希望退職者)。この現象を俯瞰してみると、ともに中長期的ビジョンのないまま、現状維持、あるいは、いままで通り、目先に追われて将来のグランドデザインを示さないままでいることだと思う。 日本ツアー機構のQTファイナルがあって、来季のツアー登録メンバーが決まった。ファイナルの予選通過者の上位30前後までが、来シーズンの前季トーナメントに出場できるチャンスがあるという。 毎年、ファイナル108ホールの戦いを終えたあとに、通過者はガイダンスの講義を早朝から夕方近くまで受講することになっている。それに欠席すれば、来季の資格を失う(昨年受講した選手は今年は免除。免除は1年限り)ので、もちろん、シニアツアー賞金王の室田淳も受講していた。 室田は、1955年生まれだから58歳である。キング・オブ・シニアと呼ばれ、ほかのシニア選手からも一目置かれる実力者。その彼が、いまなおレギュラーツアーに挑戦し続け、今回は16位で通過し資格を得た。その意欲は大いにリスペクトしたいと思う。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2017/12/171201.jpg" alt="" width="788" height="525" class="alignnone size-full wp-image-33745" /> でも、その室田もガイダンス受講は、必須で、しっかりと、いちばん前の席に座っていた。 僕は、この数年「マスコミ対応とプロとしての社会性、自覚」というタイトルで1時間の講義を仰せつかっているので、今回も講義をし、いくつかの事例も出した。 たとえば、あるトーナメントのプロ・アマ大会での出来事。一流会社の役員が著名プロと一緒に回った。ラウンド中に言葉もほとんど交わさず「その横柄さにとても嫌な思いをした」という。そしてプロ・アマ大会が終了してパーティへ。同じ組なのでテーブルも同じだった。その人は、いてもたっても居られずに、ついに言葉を発した。 「あなたは、ゴルフは一流でも、人間としては最低ですね」と面と向かって言ったという。 こういう対応の積み重ねが、トーナメント減少につながるということや、服装、言葉遣いなどについても話をした。 けれども、選手たちをそういう風にしてしまった、そういう行動を黙認したメディアや協会にも責任の一端があるということも言った。1時間の話のあとに、質問を受けたら、まっさきに手を挙げたのが室田だった。 <h2>先行き不安</h2> 質問の趣旨を簡単に説明すると①JGTOは、PGAと分裂して、よかったと思うか? ②いまのトーナメントは、運営費などお金がかかり過ぎていないか? その理由のひとつとして、広告代理店、運営会社などと協会とのバランスが悪いと思うのだが? ③この先、どうすればトーナメントの活性化、盛り上がりができるのか? もちろん、我々選手側にも、問題はたくさんあるけれど、それだけで解決するのかどうか? ④両協会(JGTOとPGA)には、その打開策もなければ、将来のビジョンもない。これでいいのか? また打開策はあると思うのか? テーマとは違う質問内容だったけれど、要するに、選手たちも先行き不透明なゴルフ界を懸念しているわけである。 こう答えた。 ①の分裂問題は、あの時代には必要な分裂だったけれど、いまの時代に変化して、再びJGTOとPGAは合体すべきだと。但し、体質が悪い組織が2つ重なっても決して善の体質にはならない。膿をすべて吐き出す画期的な改革が必要。弱体企業が2つあることよりも合併することがパワーに変われる可能性が高いと。 そして②に関しては、前々から言っていることだけど、まず各県オープンの基礎を築くことから始めるべき。そのときに、いままでのイベントのスキームではなく、別のスキームが不可欠だということ。③の問題も含めて、④にまつわるビジョンと中長期のグランドデザインを考えること。 15年前、JGTOが発足する直前のブレストで僕が提案した中に、トーナメント運営能力とハード部分(スコアボードやギャラリースタンド)などを協会傘下の会社としてつくって、全トーナメントをそのセクションで運営する。それが原資となる。さらにCSチャンネルを持ち、月額700円(年に1万円弱)のお金をとってトーナメント中継をする。チャンネルは、いわば日本ツアーチャンネルで、ゴルフチャンネルとする。もちろん、いまのようにゴルフネットワークもなかった時代である。 当時のゴルフのヘビー視聴率は3パーセント。300万人。まあ、それがオーバーでも、100万人が加入すれば、およそ100億円。するとスポンサーに多額を支払わせなくても年間トーナメントが成立するというアイデアだった。 室田選手が、なぜ僕にそういう質問をしたのか解らないけれど、少なくとも選手たちの間でも先行き不安が募っていることは確かだ。 グランドデザインが見えて、どこへ行こうとしているのかが解れば、選手たちももっと自信を持って頑張れる、ということだった。 このコラムで何度も同じフレーズを使うけれど、改めてダライ・ラマの「良き変容こそ、人間が大切にすべきこと」という言葉を、2014年に向けて、ゴルフ界も「良き変容こそ、組織・協会が大切にすべきこと」だと思う。
    (公開)2017年12月01日
    月刊ゴルフ用品界2016年2月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> いまどき100をゼロにするなんていう税金は、あり得ないはずなのに、ゴルフ場利用税撤廃運動をゴルフ関連17団体で組織する日本ゴルフサミット会議は、あくまでも撤廃(ゼロ)を求めて運動を続けていることは周知のことだ。 しかし、結論はいつも「廃止せず」で撤廃は、お流れになる。昨年も廃止見送りとなった。 失礼だけれど、いつまで続けるつもりなんだろう。つまり、廃止となりゼロにならなければ、勝ち取ったことにならないという図式は、このご時世ではあり得ないことだ。もう少し譲歩するアイデアを出して、綱引きする必要があってもいいのではないだろうか。 倉本昌弘PGA会長が、会長となって初めてこの会議に出席したときにも、そんな発言をしたらしい。ところが「自分たちは、撤廃を目標にずっとやってきたんだ。いまごろ(入ってきて)なにを言うんだ」というような声を浴びせられたという。 何を勝ち取ろうというのだろう、と僕は首をかしげたくなる。 利用税廃止は、もちろんいいことだ。ゴルファーが無駄な税金を払うこともない。 でも、もし廃止したからといって、ゴルファーは増えるだろうか。ゴルフ界という側面でいえば、廃止しようがしまいが、ゴルフ界が潤う可能性は薄い。もともと利用税を払いたくないからコースに行かないというゴルファーは、稀有なはずだ。 およそ500億円の財源を国も地方自治体も手放すはずがない。千葉県茂原市は、年間14億円とも15億円ともいわれる利用税収入があると聞いた。そのうち市町村に7割が分配される。そんな大金をゼロベースにするはずがない。 さらに、廃止となってゴルフ界に新たな財源が入るという図式もない。 いっそのこと、廃止せずに、分配したらどうか。総収入の1割は、スポーツ庁を通してゴルフ界。さらに、市町村は、取り分の半分をその市町村のゴルフ活性化に使う特定財源。 総額500億円をゼロにして国がそのぶんを地方自治体に別途財源を考えて配分するよりも、より地方活性化にもなり、ゴルフ界の活性化にもなると思うのだ。 <h2>劣化した組織</h2> 地方に、ゴルフに特化した財源が生まれれば、ジュニアゴルファーを育てられるし、地方トーナメントも楽に成立する。さらには、ゴルフ界全体で有効に使えば、日本のゴルフ活性化にも繋がる。 ところが、一度スポーツ庁にそのお金、たとえば年間50億を入れたとして、ゴルフ界にそのお金の受け皿がないとも思うのだ。JGAが独り占めもダメだし、各協会が一枚岩でもないし、方向がまちまち。 ならば、フェデレーションを設けて、そこから分配することは、どうか。日本にはゴルフフェデレーションがない。そういう組織の参加に、みんな加入して活動すれば、いまのように、総論賛成各論反対、自分たちの組織の利益優先、主張は変えないという図式にはならないはずだと思う。 どうも、日本の組織は柔軟性がなさすぎる。それは昭和の遺物だと思わなければ、時代錯誤の軋轢がどんどん生じるだけだと思う。 昨年末近くにテレビで、アマゾンがある地域で1時間以内に配達するというニュースをやっていた。そのときに商品の倉庫を撮影していて気がついたことがある。 普通ならば、例えばA4のコピー用紙なら、ある棚やスペースに、A4用紙が山積みになって格納されているはずだ。 ところが、どういう分析、方程式だかわからないけれど、アマゾンは、違っていた。ある棚に、四角いケースで間仕切りがあって、そこにA4のコピー用紙やら、さまざまな商品が入り混じっている。 理由のひとつは、A4用紙の棚だけのスペースを設けると、つまり同じ商品ごとに区分けして棚を設けると、スタッフが集めるときに、集中して動きが鈍くなる。無駄な時間が増えるということなのだ。 むしろ、なにがしかのデータを分析して、混載していれば、人間が探す導線に無駄がなく、少ない時間で集められるということだった。 また、こんな発想で成功していることがある。たとえばテレビショッピングで有名な会社の場合、メーカーはそこを倉庫代わりに使う。メーカーは倉庫経費、人件費などがなくなる。出荷は、そのテレビショッピングの倉庫から全国にできる。ショッピング会社は、いわば工場卸価格をベースに計算して、販売できるから価格も安くできる。 メーカーは、倉庫代などが助かるどころか、販売、出荷までやってくれるから、莫大な経費節減になる。 なにが言いたいかといえば、ひとつの会社、組織が、すべてをまかなう縦軸の商売が雲散しているということだ。 <h2>三方一両損でよい</h2> ゴルフメーカーも、同じだと思う。一社だけで、すべてをまかなう時代は、終わった。倉庫をひとつにして、出荷すれば、ゴルフショップ、量販店など、同じようなところに別々のトラックで運ぶよりも、混載して運べば経費節減になる。 で、ゴルフ団体・協会も、そろそろそういう考え方が必要だと思う。 トーナメント運営に必要な競技委員やスタッフなどは、JGAもPGAもみんな必要だけれど、トーナメント運営部隊をひとつにすれば、無駄は省けるだろうし、ゴルファー全体の基幹システムを共有できるセクションも作れるだろう。 つまり、共有部分で垣根をつくる必要性が、どこまであるのだろうか。 本来、各団体・協会が個性を出してなすべきことは、もっと別の次元、部門ではないだろうか。そう考えていけば、ゴルフ場利用税撤廃の運動も、もっと柔軟性のあるものになるはず。 見ていると、意地やプライド、メンツで100をゼロに、完全撤廃でなければ意味が無いと言っているように思える。 これって、独りよがりじゃないだろうか。 ゴルファー全体、日本のゴルフ界を少しでも活性化させていくには、三方一両損でよいのであって、それでも、ゴルフ界全体は、大いに得があるという図式を水面下でネゴしていけば、毎回、見送りというふがいない結果にはならないかも知れない。 縦軸で既得権益などを堅守するのではなく、もっと横軸も使い、まさしく縦横無尽な発想で乗り越えていかなければ、日本のゴルフ界の前途は暗いのだと思う。
    (公開)2017年08月18日
    月刊ゴルフ用品界2013年6月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 ちょっと古い話だけれど、4月のマスターズ直前に中嶋常幸と一緒に食事をしながらの取材があった。そのときの話の中心は、1986年マスターズのことだった。あのジャック・ニクラスが最終日のバック9で30という驚異的な スコアで逆転優勝を遂げた試合である。 3日目まで豪州のグレッグ・ノーマンが首位。それにセベ・バレステロス、中嶋常幸がひしめき合っていた。初日、中嶋は首位のクラッツアートと2が打差の5位。2日目は2打差の3位。そして3日目は、ノーマンが首位に立ち、やはり2打差の6位タイで最終日を迎えたのである。 「最終日に首位と2打差だから、十分チャンスがあったわけです」 では、なぜ勝てなかったのか、という疑問をストレートにぶつけてみた。もちろん、タラレバである。でも、ひょっとしたら勝てたというのは、勝てなかった敗因がある。それを自己分析して貰い、真相を聞いてみたかったのだ。 「問題は、やはりサンデーバックナインに尽きます。ひと言でいうなら、あと一歩前へ、という胆力がなかったのだと思う」 前半の9ホールを終えて、中嶋は1オーバーの37で、サンデーバックナインに突入した。それはワトソンと同スコア。ニクラス、ノーマンとは、ここで2打差だった。だから残り9ホールでの2打差は、あってないようなもの。勝機は、十分あった。にもかかわらず勝てなかった理由を中嶋は、 「あと一歩、その一歩の足が前に出せなかったんですよ。それは体力‥‥ うーん、単に肉体的な体力だけでなく、一歩を踏み込めるだけの勇気であり、気力であり、総合的にいえば体力なのだと思うんですよ。それはメジャーで勝てるか勝てないかの岐路になる。 うーん。よく、心技体って言うでしょう。あれってみんな三角形のイメージで、心・技・体を考えるけれど、違うんだと思う。心技体は、一直線上にある。そのラインのレベルの高さが問われる。そのレベルが、 メジャーで勝てるレベルというのがあるとすれば、僕は、技術も(世界のメジャーで勝てる選手に比べると)劣っている。体力も劣っている。 そうなるとメンタル面でカバーするしかなくなるわけです。技術体力がレベル以下だから、そのぶん精神力をフル回転、いや120とか 140パーセントとか使わないといけない。 それが4日間持たない。特にサンデーバックナインでは、使い果たしたっていう感じで、その意味でも、あと一歩が踏み込めなかった。特にメジャー、マスターズでは、まず選手に求めてくるものは技術と感性の底力が高く、それが(底辺に)あって、この週に(感性が)煌めいた選手が勝つわけです。 最後はね、理屈の世界を越えるんです。だから自分を隠せない、繕えない。いわば等身大の鏡を見せられるし、そういう中でプレーしているようなものだから‥‥」 この中嶋のコメントは、なるほどと思わせるものだった。日本選手が、どうしても後半、特に優勝争いをしていて、なんとなく腰砕け状態になってズルズルと崩れていく有様が、どういう理由かということを教えてくれる。 <h3>実るほど、頭を垂れる~</h3> もうひとつ、中嶋は、実に興味深いことを教えてくれた。 「例えばね、オーガスタの、あの13番ホール、パー5で、僕はあの時、第1打をスプーンで打ったんですよ。しかも、残り距離は6番アイアンの距離。いまよりもティグランドが25ヤード手前だけど、当時は、通常ならドライバーで残り4番アイアンがアベレージ距離なんです。つまり、そこまでパンプアップ(筋肉に血液が異常に注入され風船のように膨れ上がる状態)していたんですよ。 でも13番でイーグルどころかバーディも獲れないでパーに終わってしまった‥‥。ここが大きな課題だったと思う」 どういう課題だったのだろうか。それは、中嶋が、6番アイアンでフルスイングしてしまったことに起因しているという。 「解りやすく言えば、残り200ヤードを選手は、8番アイアンだと思ったら、届くんです。それができる。でもね、そこで6番アイアンでしっかりと距離コントロールできる選手が、生き残れる。つまりマン振りして届く距離を、番手を変えてコントロールしてその距離を打つ。乗った、バーディ獲っただけでは勝てないし、72ホール続かないわけですよ」 事実、中嶋は13番で6番アイアンをマン振りし、パーで終えたけれど、それ以降14~18番ホールのセカンドショットの縦距離が合わなくなったのだという。 世界と日本の差‥‥ そういわれて久しいが、中嶋の話を聞いていると、これは単純に技術の優劣だけではなく、むしろゴルフ脳や智慧(ちえ)という理性的なプレーをさせてくれるだけのクレバーさなのだろうと思った。 「あのとき‥‥ 最高のゴルフができたのは事実。でも悲しいかな、蓄積していく智慧(ちえ)が甘かった。もし‥‥ ゴルフ人生を変えられるなら、初めてマスターズに出場した1978年から、米ツアーに自分の身を置きたかったね」 ‥‥こういう話を聞いて、ふと現実に戻って見回すと、一体、いまの日本人選手は、どこまでこういう領域に行っている選手がいるのだろうと思ってしまう。いや、到達していなくても、そこまで目指している選手がいるのだろうか。 この間「プロゴルファーも、背番号をつけてくれないと、誰が誰だか解らないよね」という話を聞いた。画一的なスイング、同じようなゴルフウエア。それも、同じような体型‥‥ 確かに解らない。 個性を感じさせるものがない。正直な話、選手たちはみんな自分が全国区の知名度があると思い込んでいる。何様なの?という言動をとる選手もかなりいる。でも、一般的な彼らの評価を総合すると、せいぜいごく一部の地方区の知名度だったりするわけだ。 上から目線の発言も、AONのような強烈なキャラと力量があれば少しは納得するけれど、そうではない。 例えば、長嶋茂雄さん。僕は数回しか面識がないのだけれど、あるレストランで僕が奥のほうで食事をしていたときに、偶然、入り口に現れた。あ、長嶋さんだ、と僕が気がついて、席をたって挨拶に行こうとする束の間に、長嶋さんは、僕の席までササッとやってきて、挨拶して頂いた。 聞けば、石原裕次郎さんも腰が低かったという。そういうことが渡哲也さんや舘ひろしさんまで受け継がれているらしい。 僕が思うに、志しが低ければ低いほど中途半端になり、志が高いほど、人間的にも精神的にも充実してくるのだろう。 日本の男子ツアーがつまらないのは、目指そうとしているハードルの低さが原因だろう。
    (公開)2017年07月27日
    月刊ゴルフ用品界2013年9月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> 地上波の民放テレビのゴルフ中継が、面白くないという声をしばしば聞く。特に、ライブ中継でなく、そのほとんどが録画であって、いまの時代ではフェイスブックやツイッターで、結果が先に解ってしまうから、興ざめであるという理由。 さらにいえば、JGTOなどがスコア速報をやっていても、テレビと連動して、途中でストップしてしまい、TV放映時間にあわせてロックされてしまうという興ざめ。もちろん、解説陣や特定の選手中心の画作りなど、こまかく言えば不評のネタは尽きない。総じて、つまらないから視聴率も下がるという結果になる。 何故、ライブ中継ができないのか。スポーツは、生中継に限ると言われているにも関わらず、敢えて、ライブをやらない理由は、どこにあるのか。 風が吹けば桶屋が儲かる式に話せば、こうなる。 例えば、日曜日の午後にゴルフ中継を放映する。その視聴率が、4、5、6パーセントあたりだとする。すると、問題は次の週の日曜日の同じ時間のスポットCMの料金だ。スポット料金は、前週の同時刻の視聴率に対して価格が決まる。例えば、前週にテレビ朝日が人気ドラマ「相棒」の再々再放送をしたとすると、いまでも15パーセントは下らないという。 すると翌週のスポット料金は、15パーセントの視聴率の価格になる。つまりゴルフ中継で、3パーセントなら価格は5分の1に落ちるのだ。それがひとつの理由。金にならないわけだ。 次の理由。トーナメントのゲーム展開が予定時間内で終わらなかったとする。 かつては「スポンサーのご好意により時間を延長します」というテロップが流れて、15分単位で延びて決着まで見られる可能性が多かった。ところが、いまは、この延長というのがない。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2017/07/17070402.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-1118" /> で、ゴルフファンは、ならばBSチャンネルで続きをやればいいではないか、と思う。 ここにも、問題がある。そう簡単にBSチャンネルで残りを放映するというわけにはいかない事情があるのだ。 技術的には、別に地上波からBSチャンネルにスイッチすることは問題ない。事実、そうしているスポーツ番組はいくらでもある。 でも、である。例えば東京のキー局が、ゴルフ中継をして、放映時間内に決着がつかないで「続きはBSチャンネル」で御覧くださいというテロップを流すとする。当然、キー局は、そのBSチャンネルの親会社だから問題ない。 けれども、系列のローカル局にネットしている場合、そのローカル局とBSチャンネルは、なんら関係がない局なわけだ。つまり、ローカル局にとっては、続きをBSチャンネルに持って行かれると、当然、ゴルフ中継の次の番組の視聴率に影響がでる。ゴルフ中継の結末が見たい視聴者は、そのローカル局からBSチャンネルに移ってしまうから、その視聴者数だけ減るというわけだ。 <h2>営業局が反対する</h2> 僕が知る限りでも、ゴルフ中継を担当しているスポーツ局のスタッフは、当然、ライブ中継のほうが緊張感もあり、スポーツは生中継という信念も強く、ライブ中継をしたいという情熱はある。 でも、編成局、広告・営業局にとっては、直接にその局の全体視聴率の足を引っ張るし、コマーシャル料金の収入も減るわけだから、反対するのである。 それでも、無理やりトーナメントの中継をするには、やっぱりコマーシャルに乗ってくれる提供スポンサーが必要になってくる。そのときに、当然、その提供スポンサーと関係している人気選手がいれば、それをきっかけにセールスするのだから、中継のときにでも、他の選手よりは長い時間映像を流さざるを得ないわけだ。 で、風が吹けば桶屋が儲かる式の図式が、見事に成立してしまうのである。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2017/07/17070403.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-1119" /> もうゴルフ中継を地上波で流すという意識を捨てるべきだと思う。これは無理なのだ。視聴率至上主義、利益追求主義だけの地上波では、トーナメント中継をするということは無理だと思う。 昔のように、テレビ局、その関連の新聞社が協賛、あるいは共催して「これは局の事業部マターだ」と英断を下すならともかく、いまの時代に赤字覚悟でそんなことをする余裕のある局は、まずないと思っていい。 でも、と思う。この論理は、すべてテレビ局側のものであって、ゴルフトーナメント側の論理は、まったくない。 なぜ視聴率が低くなってしまうのか。なぜ、トーナメントに興味が薄れてしまうのか。なぜ提供スポンサーが興味を示さないのか‥‥ と、突き詰めていけば、やっぱり、選手たちの資質の低さや、開催コースの甘さ、あるいは、解説者などを含めたゴルフ業界の問題も浮き彫りにしなければいけないと思う。 <h2>6週間の空白</h2> あるテレビ関係者に言わせれば「視聴率が獲れないのが最大の理由」だと言った。確かに。 昨年、ヤマハレディースが、ユーストリームで本格中継をするという初めての試みがあった。これが大成功だった。いまやメディアの汎用が多く、地上波だけが映像を流す主流とはいえなくなっている。 むしろBSチャンネルやCS地ャンネルのほうが時間枠もたっぷりととれて、日本全国をカバーしてくれる。 それに加えて、ユーストリームやフェイスブック、ウエブ、スマートフォンなどを連携させれば、もっと面白く伝えることもできるはずだ。 マスターズや全米オープン、全英オープン、全米プロと世界の四大メジャーのスマホの情報は、とても素晴らしかった。 もう地上波に高い放映権料を支払うのではなく、そういったマルチメディアをうまく活用する方向でお金を使ったほうが、ゴルフファンの手元にしっかりと情報を与えることができると思うのだ。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2017/07/170704B.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-1117" /> さて、こうなるとまずゴルフ界側は、選手の資質の向上とコースセッティングの面白さをどうするか。次に、それを伝える解説者やレポーターの資質。さらには、情報をどういう風に料理するか。 どんな情報を流せば興味が持たれるか。つまりソフトの充実を図らなければならない。ライブ中継ができない地上波なんていらない! と叫ぶだけではなく、以上のものを 生み出す努力も必要ということになる。 だいいち、7月から6週間も日本の男子ツアーが開催されず、テレビ中継がされなくても、誰も、驚きもせず、つまらないとも言わないのだから、それも問題ですよね(笑)。
    (公開)2017年07月04日
    月刊ゴルフ用品界2016年3月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> 伊藤誠道は昨年20歳になったばかりである。13歳からプロのトーナメントに出場し、2009年の関東アマに優勝し、その年の日本アマでもいきなりランナーアップ(準優勝)となった。その13歳の時代からアマチュア選手として活躍、さらには2013年からJGTOのチャレンジトーナメント、QTを受けて、ツアー選手となった。 その彼が昨年プロテストを受験し、中井学とともに2位タイで合格してプロゴルファーとなったのである。 なぜツアー選手というプロゴルファーではなく、PGAの資格を獲ろうと思ったのか? 伊藤誠道はこう話す。 「うーん。いろいろな思いがあったんです。例えば、一般のアマチュアの方々と一緒にラウンドするときや、どこかで紹介されたときに『プロゴルファー?』って聞かれることが、よくあったんですね。おそらくその人達は、僕がまだ若いですし、子供っぽかったから聞いたのかもしれませんが、そんなときに、プロゴルファーですって、なんとなく答えられないものがあったんですよ。 QTの2次を通過すれば、プロゴルファーっていう感じなのでしょうけど、僕が、堂々とプロゴルファーですと答えられないわだかまりが、心のどこかにあったから、20歳になったんだし、資格を取ろうと決めたんです。個人的なことを言えば、初めてQTのサードで落ちたんです。これは、しっかりと組み立て直さないといけない、ということも理由のひとつですね」 JGTOのホームページを見ると「ツアープレーヤーになるには」とあって、QTのファーストから、ファイナルまでの4段階に別れ、そのうちセカンドからファイナルまでの出場者を翌年の「ツアープレーヤー」と呼称し、最終ステージであるファイナルQTでの上位者が、翌年度のツアートーナメント及びチャレンジトーナメントへの出場資格(ツアーメンバー資格)ランキングを獲得することができる、とある。 確かに、ここではプロゴルファーという記述はどこにもなく、あくまでもツアープレーヤー、そしてツアーメンバーという呼び方になっている。 プロゴルファーという定義は、ルール上からみれば、ゴルフの技能で金銭の授受があれば、アマチュア資格がなくなるとあるだけだ。そこで、伊藤誠道は、自分が堂々とプロゴルファーと言えるには、その資格を取りたいという気持ちになったのも、頷ける。 <h3>内側からもの申す</h3> 一方、同じ2位タイで合格した1人に中井学がいた。中井は、ずっとプロコーチとして活躍し、その知名度も高く、理論やコーチングに定評があった。つまり、いまさらプロテストを受験し、プロゴルファーの資格を取らなくても、生計にもいまの立場での仕事も大きな支障がない状態だった。 にもかかわらず、43歳で敢えてプロテスト受験にこだわったのである。 なぜ? 中井は語る。 「これまでグレーゾーンだったプロコーチとかティーチングプロという僕たちの立場でなく、今後の日本のティーチングに関わるひとりとして、やはり、その資格認証をしているPGAの中に入って、基本カリキュラムから改善し、良き指導者を輩出していくことが、日本のゴルフのレベルを高めることだと思ったんです。そのためには、自分がしっかりと資格認証テストに合格して、PGA会員の一員としてもの申したいと思いました」 通常ならティーチングプロという資格を取得するならば、2年間を費やしてティーチングプロとしての受験でいいわけだ。でも、敢えてトーナメントプロ資格というハードルの高いほうを選んだ。 「もちろんトーナメントにも出たいですし、いま43歳ですから今後シニアツアーもあります。それ以上に、教わる側と同じ立場でいたいと思ったんです。そして、自分がプレッシャーにかかったプレーをするときに、自分がこれまで説いてきたゴルフ理論が正しいかどうかも試してみたかった」という。 中井は、PGAという中に入って、ティーチングの教本など、いまの時代にマッチしたものを早急につくり直さないと、これからのジュニアゴルファーたちが、どんどん技術的にも遅れてしまう。そういう仕事、作業を手伝いたいし、改善を促したいと語っている。 その中井学は、JGJAが独自の目線でゴルフ界に貢献した人物に贈る「JGJA大賞」(第2回)を受賞し、その授賞式の前に、トークショーを開催した、そのトークの中で熱き思いを饒舌に語っていた。 <h3>プロでもアマでもない</h3> 中井の言うグレーゾーンは、なにもティーチングプロの世界だけではないと思う。 伊藤誠道のように、ツアープレーヤーという呼称で、プロゴルファーなのか? と悩む選手もいるわけである。 毎年、QTに挑戦する選手が数多くいる。運良く、実力でQTファイナルまでたどり着き、上位者になれれば翌年のトーナメントに出場できるわけだが、それは当然、ほんの一握り。極端な表現をすれば、アマチュア選手でもない、さりとて認定プロゴルファーでもないという選手たちが、どんどん生まれてくるわけである。 そういう選手たちが、アマチュア選手として復帰できないわけではないけれど、それには、どうしてもブランク期間が必要になってくる。 すると後戻りもできず、さりとて、さらに実力をつけてというには、生活費から大変だ。過去に、ファイナルまでたどり着いた選手に聞かれたことがある。 「来年も、またこのQTに挑戦したほうがいいんでしょうかね」という質問だった。 その裏には、やはり受験費用もかなり高いし、かと言って、それに見合う稼ぎがあるという確約もないし、チャンスも薄いという説明だった。 弱肉強食の世界だから、賞金が稼げる稼げないは、本人の実力次第。でも、プロゴルファーという資格が正式に貰えないのは、いまのJGTOの仕組みだ。 ここで浮き彫りにされるのは、いみじくも中井学が言ったグレーゾーンである。 JGTOは、あくまでもトーナメントを基軸にした組織だけでしかないのだ。従って、トーナメントに出場できる資格を決めさえすればいいのである。 「新人セミナーで、ツアー選手、ティーチングだけでなく、初めてプロゴルファーの役割やなすべきことを知りました」という伊藤の言葉が、響いた。
    (公開)2017年06月19日

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